夏の風物詩といえば何と言っても「花火」
今年も日本全国で花火大会が行われます。
日本の花火の歴史を振り返ると・・・
花火の元となる火薬は唐代中国において発明されました。
その後、ルネッサンス期イタリアにおける火薬・銃火器の発展を経て、天文12年(1543)、種子島に鉄砲・火薬が伝来します。
これを期に日本に火薬が広まり、その中から花火が発生しました。
江戸時代に入り、火薬の平和利用が進んだことが花火の発展の一要因と言えるようです。
当時の花火は橙色のごく暗い光で「和火(わび)」と呼ばれています。
現代とは違い、夜になると暗闇になる江戸時代だからこそ、暗い光でも目立ったようです。
ところで、花火の時に「たまや~」「かぎや~」と掛け声をすることがあります。
玉屋・鍵屋は、江戸の花火屋の屋号で人気を二分した有名花火屋のこと。
鍵屋は、初代弥兵衛が奈良・篠原村から江戸へ出て日本橋横山町で1659年(万治2年)創立した花火屋。
玉屋は、鍵屋の番頭だった清七が1810年のれん分け(分家)をして両国吉川町に創立した花火屋。
両花火屋は両国の川開きの花火で有名で、両国橋を境に上流を玉屋が担当し、下流を鍵屋が担当して花火を打ち上げていた。
玉屋の人気は鍵屋をしのぐほどで、「橋の上 玉屋玉屋の声ばかり なぜに鍵やといわぬ情なし」といった歌も残されている程。
ところが、天保14年(1843)に玉屋は火事を起こし、江戸の町を焼いた。
それによって財産没収、江戸追放、家名断絶の処分を受け、一代限りで絶えてしまった。
鍵屋は宗家花火鍵屋の名で現存する。
「たまや~」「かぎや~」は二大花火屋に対する称賛の掛け声だった。
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