足利義教は室町幕府第6代将軍で足利義満の子供。
彼が、将軍になった方法がとても変わっていました。
当初、義円と称し僧侶をしていたのですが第5代将軍の足利義量が後継者を決めずに急死してしまったために4人の中からくじ引きで足利義教が選出されました。
このことから足利義教は通称、くじ引き将軍と呼ばれています。
くじ引きを提案したのは4代将軍義持の側近だった満済で岩清水八幡宮で行われました。
ちなみに義円から一度、義宣(よしのぶ)に改名しているのですが、”ヨシノブ”が”世忍ぶ”に通じるのを嫌って征夷大将軍の時に義教に再改名している。
将軍として在職したのは西暦1429~1441年までで、最後は赤松満祐に殺された(嘉吉の乱)
0 件のコメント:
コメントを投稿