甲子園でよく見かける光景に、プレーを終えた選手が甲子園の土を持ち帰るという慣習がある。
1949年第31回の甲子園で、小倉北高の福島一雄投手がサヨナラ負けを喫したときに土を握りしめ、ズボンのポケットに入れたのが始まりだが、もはや甲子園の風物詩と言っても過言ないだろう。
選手にとって思い出の詰まった甲子園の土は特別な土なのです。
しかし、そんな甲子園の土を持ち帰れなかった選手達がいた。
1958年、第40回夏の甲子園に戦後、初めて沖縄代表として出場した首里高校のナインである。
前提の話として当時の沖縄は日本返還前でアメリカの統治下に置かれており、貨幣はドルを使い、日本本土との行き来にはパスポートが必要という状況であったということを頭に入れておいてほしい。
試合後の首里高校の選手は青春の象徴であり、彼らにとっては「祖国の土」としての意味合いもあった甲子園の土を集めて地元の沖縄に持って帰ろうとした。
しかし、沖縄への帰路の途中で植物防疫法に抵触し、首里高校の選手が持っていた甲子園の土は海へ廃棄させられたのである。
日本本土の土は外国の土という扱いだったのです。
この出来事はあまりにもセンセーショナルであった。
残念ながら当時の沖縄は日本ではなくアメリカ(外国)だったのである・・・
このような歴史も頭の隅っこに入れながら、高校野球を見るとまた違った見方ができるかもしれない。
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